1580年から築城とありますが、諸説あるようです。1585年には、羽柴秀長が入城しました。
郡山城跡の公園停留所で降りると、入り口まで随分と歩かされます。間違えて半周まわりました。何とかお堀が見える所までやってきました。なかなか規模の大きなお城です。
大阪城と違って、観光客も少なく、売店も見当たりませんが、なかなか良い雰囲気でありました。
周囲には伝統ある学校があります。この道も車道となっていますが、趣があります。
鳥居を潜って、天守跡へむかいます。
野面積みの荒々しい石垣が見えてきました。
中央の建物は、城址会館です
若草山から天理方面の山も一望です。
西側は、矢田丘陵の山並みが見えていました。
南側は、葛城山の山容が確認できました。
高い建物がありませんので、小高い所からでもよく見えます。
中央のひし形の石は、お地蔵さんであります。こちら側の面は底部で、お顔は俯いて置かれてあります。.....逆さ地蔵
建設の工期短縮のため、平城京の大極殿の石や庭石や寺院の石などを強引に使って築城されたそうです。.....転用石材
天守閣の礎石を上から見ることができます。
関が原の合戦の後、天守閣は解体されたそうで、平成26年に礎石が見つかるまでは幻の天守閣だったそうです。