2022年11月30日水曜日

11月27日(日)笠置寺

 平坦な道でしたが約2時間歩いた後で、急勾配は厳しかったです。

開基は天武天皇ということですが、大友皇子という説もあるそうです。682年の創建とあります。

笠置のメインストリートです。この先を数キロメートル行くと柳生の里になります。
都との交通の要衝で、荷役運搬でも要となっていました。
山頂へは車で上れますが、我々は200m以上の急坂を登る事になりました。なかなかの急勾配で慣れていないと厳しいかもしれません。
上を見ると良い紅葉風景となります。
40分ほどかけて登ると笠置寺です。入山料300円也を払って行場めぐりとなります。奇岩・怪岩巨石のオンパレードです。
この岩は、笠置石と呼ばれています。大友皇子が笠置山で危難に遭い、山ノ神の救いにより難を逃れた際に目印に笠を置いたそうです。この話がこの地の名前となっています。
ご本尊の弥勒磨崖物ですが火災等で焼失したそうです。この反対側には正月堂があります
2月堂・3月堂・4月堂は東大寺にありますが、正月堂はここにあります。お水取りの発祥の地でもあります。
千手窟は狭い回廊のようになっています。
伝虚空蔵磨崖仏です。諸説あるそうですが弘法大師作として伝承されています。
胎内くぐりもできます。
太鼓岩もトンネルになっています。皆さんポンポン叩いています。
ゆるぎ岩と言います。重さ数トンの大きな岩ですが、女性の力でも動かす事ができます。
二の丸跡からの東側展望です。城跡のようですが、城郭はなかったようです。
貝吹き岩です。元弘の乱の時、戦意高揚のために法螺貝を吹いたそうです。
こちらは西側の展望で、笠置駅付近が見えていました。雲海や夕日が綺麗だそうです。
紅葉公園です。何とか紅葉が見れました。
笠置山を南朝の皇居とされた後醍醐天皇の時から、この山の紅葉は美しかったそうです。
公園を上から見ています。順路の最後は太子堂となります。
下山は緩やかな自動車道路を下りました。
ここも駅舎は綺麗に整備されていました。その昔は、大阪市内から直通で笠置まで来れたそうで、温泉旅館や観光ホテルなどで賑わっていたそうです。
駅前に会った元弘の乱のモニュメントです。微妙なリアルさがシュールです。
山登りではありませんが、歴史と自然が織り成す景観は、飽きる事がなく楽しいところでしたね。


2022年11月29日火曜日

京都府大河原から笠置寺へ 川沿いの道偏

 紅葉も最終でしょうか?初冬の装いも出てきた木津川沿いを歩きました。

奈良県の加茂駅で関西本線に乗り換えて、到着したのが大河原駅です。
去年、駅周辺や列車の改装があって、カード使用もできるようになりました。
駅周辺は、民家も少なく、村全体でも2500名ほどだそうです。
川原に続く道を下ると、冬のような景色の木津川があります。流れる水はやがて大阪湾に注がれます。
恋路橋と言うロマンチックなところです。向かいの恋志谷神社へお参りすると恋愛成就となるそうです。.......爺さん二人では........
車も通れるようですが、沈下橋で水量が増えると恐怖ではないでしょうか。

恋志谷神社です。恋志谷姫は後醍醐天皇の后で、伊勢で療養の後に笠木に立ち寄るも、元弘の乱で後醍醐天皇に会えず、古森と言うところで崩御されたそうです。後にここに祀り、病気平癒・恋愛成就の神社として信仰を得ているそうです。
天満宮でもありますので、梅の紋が掲げてありました。
旧大和街道を西進すると、十一面観音磨崖物があります。説明看板がありますが、見逃してしまいそうです。
平野部がほとんどなく、うっそうとした道路を進んで行きます。山から水が流れ出し、木津川に流れて行きます。この道は舗装されているところも多いのですが、常に湿潤した状態のようです。
右手に錫杖を持った地蔵石仏です。これも1500年頃の作だそうです。

関西電力相楽発電所です。
関西本線の鉄橋を潜りしばらくすると、沈下橋が現れました。
関西本線の踏み切りを渡り今度は、南に進みます。川沿いの道は、どうやら支流の布目川で進めないようです。
約一時間に一本の列車が走ります。
布目川公園の渓谷です。旧大和街道はこの川沿いを進みます。
まだ紅葉が残っていました。
関西電力布目川発電所を過ぎると再び線路を渡ります。
道と線路が近くて、なかなかの迫力です。森の中に消えてゆく列車のように見えます。
木津川沿いの東海自然歩道・銀の帯コースを歩きました。奇岩・巨石が多くて飽きる事がありません
このあたりは「遊びカヌー」の発祥の地だそうです。
笠置大橋です。独特の配色で、遠くからも確認できました。川原にキャンプ場があって、賑わっていました。これより笠置寺へ向いました。


2022年11月16日水曜日

11月12日 蹴上から大文字山登山

 久しぶりの京都です。観光客も戻ってきて、賑やかになって来ていました。

3度目の大文字山ですが、低山ながら歩き応えがあります。

京阪三条駅を東に進むと関西電力蹴上発電所が見えてきます。日本初の事業用発電所で明治24年に運転を開始して、131年間に亘り発電しているそうです。
ねじりまんぽと呼ばれている場所です。レンガの螺旋積みが有名ですが、上部のレンガの積み方も面白いです。
琵琶湖疏水工事の殉職者の碑です。17名もおられたそうです。湧水との戦いでもあったようで、最初は桶で掻い出していたそうです。
インクラインの景色
エネルギーや物流の近代化で、様々な改革があった明治の遺産です。
日向大神宮への階段です。左手には天岩戸があります。我々は、右手の山道を進みました。
このルートはアップダウンがあり、短いけれど急坂もあったりでエネルギーを削がれてゆきます。
何やら開発の兆しがあるようで、地図には無い道ができていました。
やっと大文字山山頂に到着です。以前は素通りするぐらいの所でしたが、大展望所に変っていました。(465m)
火床と呼ばれるところは、さらに500mほど西に下りて行きます。標高も低くなり、街にも近づいてきますので、景色はさらによくなります。
京都御所・吉田山・銀閣寺・下賀茂神社・京都大学など名所めぐりができます。
さてこの火床は大の字のどこになるのか?
これは大の字の交点になる火床です。後には弘法大師堂が控えています。
下山道は階段地獄で、急峻な地形である事がわかります。
銀閣寺前に到着です。普段の山と違って、若い人と海外の人が多い山でした。
今回はこのまま西に向い、出町柳まで歩きました。この鳥居は吉田山の吉田神社の参道入り口となっています。