2024年5月29日水曜日

5月24日(金)飯盛山~四條畷市立歴史民族資料館

 年齢のせいですかね?次第に軽登山が、主体となってきました。同じ山でも、休憩回数が増えてきています。

ということで、毎日登山もできる、飯盛山に登りました。

JR学研都市線「野崎」がスタートですが、京橋駅から15分ほどで着きます。(片道230円)お手軽登山であります。

ただし、ザレ場や急登もあり、なおかつ道も複雑に交差していますので、地図やスマホアプリが必要と思います。

野崎参りで有名なところです。5月の1~6日は、露店が出るそうです。
参道の道を登ります。途中の階段は、ヘビーです。
もうすでに夏の様相で、汗がでます。
観音堂です。十一面観世音菩薩をはじめ西国三十三ケ所観音霊場の観音様が集結されているそうです。
慈眼寺です。西国霊場三十三ヶを決める観音様の集まりに、居眠りをして遅れてしまったのが、ご本尊です。別名「居眠り観音」だそうです。(ここは、三十三箇所には入れなかったそうです)
様々な展望所を通って上って行きます。こちらは大阪の南西部が望めます。
深北公園から大阪中心部が、見えていますが、黄砂でしょうか?霞んでいます。
野崎城址です。畠山氏が立てこもったという記述があるだけだそうで、廃城も飯盛山城と同時期と言う推測しかありません。
比較的急峻な地形で、都市開発も進まなかったのでしょうね。自然が残っています。
登山道から離れた所にあった、大きな稲荷社の石碑です。
その隣りあった石碑も、イワクがありそうです。そ他にも由来のわからない石の祠が、あったりします。
辻の新池まで来ました。ここまで来ると、もうすぐです。
オブジェの広場には、夏ぽい飾りがありました。
国の史跡にされたのが2021年という新しさです。三好長慶の居城で知られています。
絵馬の奉納所がこの地の伝承を感じます。
314mの標高です。
展望休憩所の日陰は涼しく快適です。
下りは階段地獄です。
花崗岩質の山ですので、崩れやすく、ルート変更を強いられる事もあります
四條畷神社まで降りてきました。境内でお参りは一人だけでした。
下山後は、四條畷市立歴史民族資料館に向いました。途中、東高野街道を通りました
民家サイズの資料館です。
最古の馬の骨も出た地です。モンゴル系の馬と言う事です。こちらも馬の埴輪だそうです。
田原の城主はキリシタンであった言うことですが、墓碑の主が分かるのは、ここだけだそうです。
埴輪も出土しています。
大阪の平野部が海だった頃、海外との交易も豊富だったようです。
資料館は民具が展示された別部屋があります。



2024年5月21日火曜日

5月17日(金) 大文字山・南禅寺ルート

 幾度と登っている大文字山ですが、今回は南禅寺の奥のルートから入山しました。

平日にもかかわらず、満員の京阪特急で、三条駅に向いました。

座席は満員で、45分以上踏ん張って立っていたので、なんだか登山前に疲れてしまいました。オーバーツーリズムを体感しました。(その中の一人ですが)

三条駅からは、東に向います。黒招き猫で有名な壇王法林寺さんの前を通ります。
粟田神社の向かいにある合槌稲荷大明神さんの参道です。ほぼ路地のような所にありますが、能や歌舞伎の演目となる逸話のある神社です。
坂を登ってくると、第二期蹴上発電所が見えてきます。第一期は明治24年で、第二期が明治45年完成だそうで、よく残っていたものだと思います。
三条通をわたり、インクラインの下にある「ねじりまんぽ」を通ります。強度を増すためにこのような積み方にしたという説があります。
トンネルをくぐり、真っ直ぐに進むと東照宮の楼門前にやってきました。重要文化財が何気なくあるのが京都らしい風景です。
東照宮下乗門を出て右手に進路をとります。
南禅寺の中門を潜り、境内に入ります。
石川五右衛門の「絶景かな絶景かな」で有名な三門を横目で見ながら山へ向います。
法堂というのは、禅寺で特有の呼び方です。寺領も広大で、三井寺と政治問題にもなったそうです。
琵琶湖疏水からの水路閣です。日本人の設計・施工だそうで、工期は5年ほどかかりました。


なんだかヨーロッパの遺跡のようです。明治の気骨を感じます。
細かなディテールにも気品があります。
水路近くの道は、歩行可能なところもあります。
水路の向こうは、トンネルになっていました。
山道に入って、最勝院奥の院をすぎると、駒ヶ滝があります。滝行もできるところですが、地元の方がお手入れをされていました。
滝を過ぎるとかなり急な山道となりますが、歩きやすい道でした。赤い土に緑の苔が眼を楽しませてくれます。
金魚の池とありますが、足がしんどくなってきたので、確かめていません。(下った所にありました)
開けた所に出ると、あと少しです。
大文字山到着です。大文字の火床とはかなり離れています。
南西方向の景色です。昼食は、大文字の火床まで下ります。
火床は、山頂からかなり降りてくることになります。その分、景色が大きくなります。
御所・吉田山・下賀茂神社の緑がその位置を示してくれます。左手前は真正極楽寺付近の緑です。
景色を見ながら語りだすと、時間がいくらあっても足りない絶景です。
大の字の中心部です。その後は、弘法大師堂となっています。
海外の方も大勢、登られています。
ロープウェイ状の物は、大文字焼きの際の木を運ぶもののようです。
階段を降りてくると、もうすぐ銀閣寺です。
白河疎水は、ここで大きく南へ曲がります。
この疎水は、京都の街中をぐるりと流れます。
いわゆる哲学の道と称される所です。高齢登山者コンビの会話には、哲学の要素は1ミリともありませんがね
京都大学のキャンバスに食い込んである、後二条天皇北白川陵です。円墳のようです。
登っても、降りてきても見所満載です。