2017年5月24日水曜日

キララ坂から修学院へ

石碑のある分岐点は比叡山山頂との分岐でもあります。
今回はあっさりと下山方向に歩みを進めました。
 足の幅ひとつ分くらいの溝のような山道となります。旨くタイミングを合わさないと往来の人のすれ違いができません。.....なかなか急斜面でもあります。
しばらくすると、修学院のフェンスが現れてきました。.....勿論、立ち入り禁止です。
このフェンスの長さは足で感じる事になりますが、それにしても勢力があったのだろうと思います。
 田植えの時期なのでしょうか、用水の分岐の注意書きがありました。
どうも、京都の方言で書かれてあるようで、イジルという意味合いで使われているようです。大阪だとカラカウと言う意味合いが強くなり、名古屋的には、もてあそぶ的なニュアンスが強くなるそうで、わかり難い表記である事には間違いないですね~....笑
 比叡山の京都側の入り口の一つ、キララ坂の石碑です。雲母坂とも表記されるように、花崗岩から風化した雲母がキラキラと光る事からこの名前がつけられたということです。....異説もあります。(う~ん、キラキラ感は感じませんね~)
延暦寺の千日回峰行のひとつでもあります。
 かなり風化しやすい地質で、堰堤は必須でしょうね。
 鷺森神社が登山道への目印です。今回も鳥居前からの参拝でした。
叡山電鉄「修学院」到着です。歴史的にも色々あり、地質学的にも興味深い瓜生山でした。

2017年5月23日火曜日

瓜生山から白鳥山

300mほどの山で、標高による気温の低下も期待できませんが、土の道と木々のおかげでヘタルこともなくここまできました。
 何年か前の台風の影響で倒木が多く道の崩落も報告されていましたが、迂回路の創設等の対策で、ストレスなしで進めました。.......大きな木の倒壊で、大きくえぐられていました。
 少し迂回路を使って、白鳥山へ登りました。ここも城が築かれていたようで、平らに整地されたところがありました。
 最近はお寺参り登山が多くなっていたのですが、城跡ハンターにもなってきたような気がします。
 京都トレイルの整備もあったのでしょうか、各ポイントに適切な標識と解説の看板があって、歴史の都を感じます。.......ありがたい
 山頂にあった謎のポンプ部品です。内部には歯車等が残っていました。日本の株式会社丸八ポンプ製作所製のようですが、なぜここにあるのでしょうかね。......創業1923年だそうです。
 ここも山頂の眺望はきびしいものがあります。
 所々の伐採地?からは、宝ヶ池方面の景色がきれいでした。
 石鳥居に到着です。すでに12時を過ぎていましたので、ここで昼食となりました。
 ここより沢を3つほど渡り(たぶん?)キララ坂に向いました。ここも短いですが急坂のアップダウンが続きます。
水飲対陣の跡と言うところに出てきました。
なかなか立派な碑が山中にあります。千種忠顕(鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公家)の戦死した所ということです。
水飲と言うの地名のようです。

2017年5月22日月曜日

京都 瓜生山

京都の東山36峰のひとつ、瓜生山に登りました。
標高は301mとも276mともネット上に上っていますが、とりあえず低山であります。
天気予報では32℃にもなるとされている時のとざんですので、飲料水も普段より多く持って行きますの、リュックサックの重量も増えてしまいました。
 出発点は出町柳駅です。叡山電鉄の方にもハイカーさんが大量に流入していました。
湿度が低いのが幸いでしたが、すでに汗が......
 街歩きすること2kmで、ようやく緑が近くなってきました。
 日本バプテスト病院の脇道から登山道に入りました。木々が日光を遮ってくれますので、随分と体が楽になります。
 しばらく歩くと、北白川大山祇神社が現れます。祭神は大山積神・山霊の神々です。
 鳥居前から参拝して入山です。
 短いですが、急な坂があって心拍数が上ります。とりあえず茶山に到着です。
 北白川方面でしょうか?所々に眺望があります。
 目を凝らすと、平安神宮の鳥居や京都タワーが確認できました。
 狸谷不動尊からの36童子の一部とご対面です。急坂に設置されたのが原因かもしれませんが、かなり危険な状態ではないでしょうか?
 これが最後の童子となるようです。
 山頂の社に到着です。山城もあったようで、整地されてありました。

この社の裏に、石室があって、地蔵さんが祀られていました。様々な歴史の変節が感じられる山頂です。

2017年5月10日水曜日

初瀬ダム~長谷寺

何とか初瀬ダムにやってきました。
登りもあまり無く、平行移動に近い行程でしたが、踝の下.踵の骨が出てきて悪さをするようになってきていますので、こんな行程でも、じわじわと痛み出してきました。
 ダム湖は公募で名前がつけられました。「まほろばこ」となっています。
昭和62年に本体工事が完了したそうで、比較的新しい感じがします。
堤高55mにもなる重力式コンクリートダムで、飲料水や洪水対策が主な多目的ダムです。......奈良県は水資源の確保が必要な自治体ですので、貴重な存在です。
 鉄製の橋がありましたが、見事な錆びが浮いていました。せめて塗装だけでもしてくださいと言いたくなります。
近くで見るとコンクリートの塊です。対岸にある階段がその高さを物語っています。
 ぐるりと回りながら降りてゆくと、ダムの下側に出てきます。すでに田植えの準備が始まっていました。
交通量の多い道路に、 見廻不動尊がありました。これより神聖な山となるので身を清めるように導くため、建てられたようです。....たぶん?
 周辺の駐車場は満車状態でした。長谷寺に到着しました。
花のお寺とし手もマスコミによく取り上げられているので、、なかなかの賑わいです。
基本の拝観料は500円ですが、12面観音の足元まで進もうとするとさらに追加金が必要です。
ここもちょうど、ボタンのお祭りの最終日となっていました。
 有名な回廊です。踏み込みの浅い階段ですが、とりあえず登りですので、皆さん呼吸が荒くなっています。
 もうかなりピークは過ぎているようでしたが、大きなボタンの花が迎えてくれます。
 直角に曲がると、さらに急な階段となります。
 国宝の本堂です。中にはご本尊の十一面観世音菩立像(重文)が祀られています。...撮影禁止です。
 集印所の行列です。御朱印ブームなのでしょうか?.....西国三十三所観音霊場の第八番札所ということもあるのでしょうね。
 本堂の正面です。10mにもなるご本尊は奥の方で黄金色に光っていました。
 山の中腹まで広がる伽藍です。.....やはりここはメジャー級です。
 本長谷寺です。ここが起点となったようです。
 バランスのとれた五重塔です。すぐそばに、対塔の礎石がありました。
 長谷寺と言えば、ボタンということになります。終わりかけていますが、頑張って咲いているものもありました。



 人と車でいっぱいの門前町です。温泉旅館もあるようです。
 駅近くまで、商店がならんでいたようですが、随分とシャッターを下ろしているところもありました。
近鉄長谷寺駅に到着しました。かなり坂を上らないと駅舎に到着しないと言う難物の駅です。.......最後の最後で登りは.........

2017年5月9日火曜日

鳥見山展望台から初瀬ダム

鳥見山公園広場のイベントの音を下に聞きながら、展望台へ向いました。
 ツツジの色も鮮やかな展望台です。大宇陀の街から多くの山が確認できました。.....それにしても黄砂の影響で何ともぼんやりとしています。
南側になります。大峰山や大台が原方面となるようです。
 こちらは桜井方面です。大和三山から生駒金剛の山並みも、何とか確認できました。
 少し下った所にある広場のツツジです。新緑も鮮やかで、目を楽しませてくれます。この先にコンクリート製の展望所がありましたので、立ち寄りました。
 桜井方向の景色です。かなりお金をかけて作られた展望台ですが、あまり眺望はよろしくありませんでした。
 トレランの三人衆と挨拶を交わしました。.....決してお若くは無いグループでしたが、元気にランニングされていました。
 地元の人の案内で、再び東海自然歩道へ進む事ができました。木々の中に入ると気温も下がり、リラックスできます。
 誰一人とも遭遇する事も無く、高束城跡に到着しました。周りを見ても城跡のような痕跡は無く、ウロウロしましたが、小さな表示を頼りに少し登ってみました。
これが、お城の礎石なのでしょうか??....馬乗石かも?
整地された所も小屋程度が建てれるほどで、とても城があったとは思えません。
狼煙台ならわかりますが、攻めて落城すると言うような表現にはならないような場所でした。
898年に藤原家賢によって築城され、1564年に松永久秀煮よって炎上消失し城主も討ち死にしたそうです。
城跡からの眺望です。
集落からもかなり離れた所で、長い間、城を維持してきたものだと思いますね~
石積みの滑りやすい登山道を下りて来ると、初瀬ダムのまほろば湖が見えてきました。