300mほどの山で、標高による気温の低下も期待できませんが、土の道と木々のおかげでヘタルこともなくここまできました。
何年か前の台風の影響で倒木が多く道の崩落も報告されていましたが、迂回路の創設等の対策で、ストレスなしで進めました。.......大きな木の倒壊で、大きくえぐられていました。
少し迂回路を使って、白鳥山へ登りました。ここも城が築かれていたようで、平らに整地されたところがありました。
最近はお寺参り登山が多くなっていたのですが、城跡ハンターにもなってきたような気がします。
京都トレイルの整備もあったのでしょうか、各ポイントに適切な標識と解説の看板があって、歴史の都を感じます。.......ありがたい
山頂にあった謎のポンプ部品です。内部には歯車等が残っていました。日本の株式会社丸八ポンプ製作所製のようですが、なぜここにあるのでしょうかね。......創業1923年だそうです。
ここも山頂の眺望はきびしいものがあります。
所々の伐採地?からは、宝ヶ池方面の景色がきれいでした。
石鳥居に到着です。すでに12時を過ぎていましたので、ここで昼食となりました。
ここより沢を3つほど渡り(たぶん?)キララ坂に向いました。ここも短いですが急坂のアップダウンが続きます。
水飲対陣の跡と言うところに出てきました。
なかなか立派な碑が山中にあります。千種忠顕(鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公家)の戦死した所ということです。
水飲と言うの地名のようです。
瓜生山、初めて見ましたあ。
返信削除低山ですけど、時々歴史に出てくる場所でもあり、私には興味津々です。
郷土史家の案内板には眉唾ものも散見されますが、なんとなくもっと調べたくなりますね。
光秀がここで叡山の動向を探っていたことがよく分かります。やっぱり要衝なんですねえ。興味湧きましたよ。
でも、今は他に勉強することが…
そう言えば、我が町に「北白川ラーメン」なるものが去年できました。
はっきり言って美味しくありません。瓜生山にこもって禊でもしてほしいです。
jollyhotさんこんにちは~
返信削除歴史に疎いので、案内板だよりですが、喧々諤々の学説があるようですね~。京都には文献が残っている場合もあるのですが、古墳時代になると何とも怪しいのが魅力です。
京都での食事は、当たり外れがあってなかなかスリリングです。.....コストパフォーマンスを加味しての、大阪人からの見方です。...たぶん
写真を撮り忘れたのですが、修学院の中華料理店の看板に「長崎だけにある麺」を使っていると書いてありました。なんとなく微妙なツッコミを入れたくなってしまって、ニヤニヤでありました。.....ヒネクレ者です