2017年9月27日水曜日

お菊山下山

朝の陽射しはどこへやら、うす曇で遠くの景色も霞んでいます。
 関西空港の連絡橋がしっかりと見えていました。
この日の午前中に離陸した飛行機のパネルが大阪市内に落下して、通りがかりの車がはそんしたそうですが、事故現場は自宅から2kmほどしか離れていません。
元来自宅周辺は、大阪空港に着陸する飛行機からの落下物が多いのですが、関空からの飛行機は初めてかもしれません。
 とりあえず、下山は右手の新家駅を目指します。
 低い山ですが、なかなか深い谷が形成されています。さすがにこちら側は、登山者の往来があるのでしょう。蜘蛛の巣がほとんどありませんでした。
 ザレ場からの眺めも気分転換になります。
 静かな登山道です。本日は全く人に逢えませんでした。
 振り返れば里山として存在している事がわかります。お菊山の正式名称は経納山ということでした。

 種河神社の横を通って、新家へ向います。表参道は工事中でした。
 随分と時間がかかってしまいましたが、何とか到着しました。

2017年9月25日月曜日

お菊山登山 まずは大山へ 

非業の死を遂げた豊臣秀次の娘お菊は、家臣の手によって逃れ、阪南市の豪族の娘として育てられました。その後紀州の代官と結婚しましたが、豊臣方についた夫のために密使を引き受けることとなりました。
 大阪城までの道中で、男装するため髪を切り落とし松の木に下に埋めたのが「お菊の松」、現在のお菊山の由来となっています。
 なお、お菊は帰路において敵方に見つかり処刑されたということです。悲哀に満ちた物語のお山ということです。
 なんだかんだで1時間近くかけて登山口に到着です。これより大山に登り尾根道を進む行程となります。
 池の周囲の道は周回道路になっていて、数人のランナーさんと出会いましたが、山行きさんはほとんど見かけませんでした。
 この分岐で出会った3人の御婦人たちに、蛇やガレ場に気をつけるようにアドバイスを受けました。
なかなかの急斜面が続き、大汗が出ます。途中に眺望があるのが救いです。今までうろついていた池も見えていました。
 所々崩落箇所があったり、ガレ場のやせ尾根があったりで、スリルもありました。 
.....苦手です。

          
お菊山より高い 383mの大山に到着しました。低山ながら侮れない山です。滑落すれば事故になるようなところもありました。
 こちらのルートは誰も来ていないのか?蜘蛛の巣地獄でもありました。 

 とりあえず、三角点です。これよりアップダウンの尾根道となります。
ぼやけていますが、殿山を示す標識です。この後ろ側の数メートル上が殿山の頂上となりますが、眺望はありません。
 標識の数メートル先は眺望が広がり、関西国際空港も見えていました。

 小さな花?が目を引きます。この先の送電鉄塔の下で昼食となりました。
蜘蛛の巣が登山口より張り巡らされている感じで、小枝をグルグル回しながらの行脚でした。
ようやくイワク因縁の渦巻く、お菊山に到着しました。ガイドブックよりも時間がかかってしまいました。今の所出合った登山者は0人です。

お菊山登山

気まぐれな天候で、登山予定が延びて23日(土)にお菊山に登りました。
大阪南部の和泉山系の西端の支脈が、今回登ったお菊山山系となります。
何やら奥深い伝承のある山名ですが、320mほどの低山であります。
 天王寺からJR阪和線に乗り、関西空港との分岐の日根野駅の次の駅になる長滝駅がスタートです。
 なんとか酷暑をやり過ご瀬増したが、今回も大汗の山行きとなりました。
登山道までのアクセスが乏しくて、約時間あまりの田舎道歩きとなりました。
さほど涼しさ感も感じられなかったのですが、彼岸花が季節の到来を告げていました。
 
          
 秋祭りのシーズンで、日曜日にはだんじりも進行します。
 昭和レトロを越えた感じの理容院?です。
 山と人間界との境目にある意賀美神社です。室町時代に建立された社殿は重文となています。
 秋祭りで賑わっていました。
 踊りを奉納されるのでしょうか?同じような着物を着た方々が続々と集まってきました。
 露店というよりもバザーのような感じで準備されていました。
 神社の横をすり抜けるように進むと新滝の池に到着です。石碑の横山ノックの文字が妙にむなしく思えてしまいます。
 水位は随分と低めでした。
池と言うよりもダム湖のようです。

2017年9月5日火曜日

歌垣山登山

奥の院からの道は、下りとなります。
途中、参拝と思われる男性に遭遇しました。.....本日の登山の唯一の出会いです。
少し下まで林道が延びてきて要るので、車で来られたようです。
 堀越峠まで降りてきましたが、登山道の入り口を見失い、そのまま杉原地区の入り口で見失っている事に気が付き逆戻りとなりました。下り坂の車道でワイワイ喋っている間に5~600m進んでしまったようです。地図を確認しながら目を凝らすと、木の葉に隠れた標識を発見しました。道は車道のノリ面に沿う形で存在していました。
 ものすごく整備された階段地獄です。.......やっぱり大阪府はお金があるのかな~
 女山(553m)のふれあい広場に着きました。時短のため、せわしなく登りましたが、峠から25分ほどかかりました。
 立派な展望台や東屋がありました。
 剣尾山や三草山などの山名もみられます。
 展望台からの眺めは、北の方が開けていました。同じような高さの山が続いているようです。
数分で男山到着です。
 トイレやログハウス・東屋など整備されています。地元の方による整備もよくされているようです。.........車道もあるようです。
今回の昼食は屋根つきの 立派なベンチです。
 かなり立派な山名の石碑です。......傾いています
その昔、男女が歌を詠み、出会いの場となったのが、この名前の由来だそうで、筑波山と長崎の杵島岳で、歌垣三山を構築されています。
 妙見山の頂上が見えています。今日は大混雑であろうと思われます。
 健脚の方は、妙見山からこちらまで歩かれるそうです。
 昼食もそこそこに、急いで下って行きました。途中にあった小さな滝です。
 ワチャワチャとせわしなく降りてきました。振り返ると、歩いてきた山並みが見えていました。
 停留所にあった消防団の詰所と櫓です。.......ここも大阪なんですがね~すぐ東隣は京都になります。
停留所まえのJAです。不思議なレンガ造りの建物がありました。

2017年9月4日月曜日

o大阪府豊能郡能勢町 歌垣山登山(奥の院分岐まで)

 前回は、大阪府の南端の岬町の飯盛山に登りました。と言う事で、今回は大阪府の北端の能勢町の歌垣山へ登りました。
 アクセスが乏しく、バス路線とダイヤを睨みながら、ルートと経過時間の関係で忙しい山登りとなりました。
 
 梅田から阪急宝塚線で川西能勢口まで行き、能勢電の山下駅乗換えして妙見口で下車となりました。
 電車の中は、ほぼ登山者と言う盛況ぶりです。以前、春ごろ妙見山に登った時には、数名の方と出会っただけでした。
 駅のトイレも列が出来るぐらいでした。
 どうやら頂上の妙見神社でお祭りがあるようで、各山の会やグループがイベントを組んで頂上を目指すようです。
 我々は、一時間に一本の貴重なバスで本滝口まで行きました。
この辺りの名所「野間の大ケヤキ」があるところで、数人のハイカーさんと共に下車しました。
 大阪とは思えない田園風景で、標高の高さもあって、涼しい風が吹き抜けてゆきます。
 交差点を東に向かいます。反対側が野間の大ケヤキがあるところです。今回はスケジュール的に何処にも訪れるのが難しいために断念です。
 まだ青いですが、柿が大きく実っていました。能勢は栗の名産地でもありますので、大きなイガで枝が垂れそうになっている栗の木を幾つも見ました。
 近所の道の駅での和栗の争奪戦は、なかなかのものだそうです。
 何とか山道に入ると、妙見山の奥の院への石柱がありました。道は良く整備され、道しるべもあるため問題なく進む事ができました。
 かなり汗も出てきた頃、ちょっとした池はオアシスです。
 近くにあった休憩所です。立派過ぎる感じですね~。この山道の整備を考えるとかなり予算が降りているように思えます。
 丸太階段も新しく整備されたようで、上面も平らにしてあったので、登り易かったです。
 奥の院分岐に到着です。バイク避けでしょうか?2箇所目の柵がありました。
これより100メートルで奥の院ですが、ここもスルーでありました。この区間で出会った登山者は0人でありました。