非業の死を遂げた豊臣秀次の娘お菊は、家臣の手によって逃れ、阪南市の豪族の娘として育てられました。その後紀州の代官と結婚しましたが、豊臣方についた夫のために密使を引き受けることとなりました。
大阪城までの道中で、男装するため髪を切り落とし松の木に下に埋めたのが「お菊の松」、現在のお菊山の由来となっています。
なお、お菊は帰路において敵方に見つかり処刑されたということです。悲哀に満ちた物語のお山ということです。
なんだかんだで1時間近くかけて登山口に到着です。これより大山に登り尾根道を進む行程となります。
池の周囲の道は周回道路になっていて、数人のランナーさんと出会いましたが、山行きさんはほとんど見かけませんでした。
この分岐で出会った3人の御婦人たちに、蛇やガレ場に気をつけるようにアドバイスを受けました。
なかなかの急斜面が続き、大汗が出ます。途中に眺望があるのが救いです。今までうろついていた池も見えていました。
所々崩落箇所があったり、ガレ場のやせ尾根があったりで、スリルもありました。
.....苦手です。
お菊山より高い 383mの大山に到着しました。低山ながら侮れない山です。滑落すれば事故になるようなところもありました。
こちらのルートは誰も来ていないのか?蜘蛛の巣地獄でもありました。
とりあえず、三角点です。これよりアップダウンの尾根道となります。
ぼやけていますが、殿山を示す標識です。この後ろ側の数メートル上が殿山の頂上となりますが、眺望はありません。
標識の数メートル先は眺望が広がり、関西国際空港も見えていました。
小さな花?が目を引きます。この先の送電鉄塔の下で昼食となりました。
蜘蛛の巣が登山口より張り巡らされている感じで、小枝をグルグル回しながらの行脚でした。
ようやくイワク因縁の渦巻く、お菊山に到着しました。ガイドブックよりも時間がかかってしまいました。今の所出合った登山者は0人です。
コメント書いたのですが、私の操作ミスで全部消えてました。
返信削除慌ててまた同じようなことを書いたのですが、宅配に邪魔されてそれも消失。さすがに三度は書く気が起きません。
最近、どうも電子機器に裏切られることが多いようで…
でも、諸説あるなかで、そんなことをつらつらと考えながらの山行もいいですねえ。
私なんか、どうして「お菊山」になったのか、「お菊の松」はどうして出来上がったのかなどと、大阪陣のあとの事をずーっと考えていそうですよ。((笑)
こんばんは~遅くなってしまいました。
返信削除私も記事やコメントを何度も消してしまった事があります。立ち直る気力を失なってしまいます。これが仕事だったらと思うとゾッとしますね。
お菊山と言う女性の山名は珍しいかもしれません。最初は、ここでお菊さんが処刑になった所と思い、登山を躊躇していました。きっと薄気味悪いところだと言う気持になっていました。
実際のところ、石碑と松がその雰囲気を醸し出していますが、後ろに広がる泉南の海の眺望が全てを飲み込んでしまっています。
尚、お菊さんが埋めたのは髪の毛と鏡であったそうです。