2025年3月18日火曜日

3月14日(金)太閤道・若山登山

 JR東海道線「高槻駅」から若山に登り、島本駅までの行程です。

豊臣秀吉が行軍し、切り開いた道とされている所です。

JR高槻駅から東に向かい、安満遺跡公園を訪れます。
以前に来たときは、整備中でしたが、4年ほど前に全面オープンしました。
室内身体遊び、表現遊び、自然遊びが楽しめる施設ということです。当日も幼稚園児が沢山来園していました。
BBQやレストランに展示施設が集合しています。
  
昭和3年に京都大学の付属農場として開設されました。当時の面影乗る建物が残っています。
展示室には、弥生時代の遺跡から発掘された土器や矢・銅鐸などが展示されていました。
かなり近代的な矢となっています。
小規模ですが、見どころが沢山あります。
公園中央の道を北に進みます。目指すお山は、右手に見えています。
工事等で迂回しながら、登山道に入ります。全体的に、幅広の緩やかな道でありました。
三好大明神の鳥居です。登山道は、この手前を左手から登ります。右手からもルートはあります。
金龍寺の参道でもあるようです。丁石らしきものが続いています。
金龍寺は790年に建てられたようです。天皇の行幸があるほどのお寺だったそうですが、戦国時代に焼失した後、豊臣秀頼により1602年に再興されました。
1983年にハイカーの火の不始末で、再び焼失しました。現在は、石積みの基壇が残るのみとなりました。
階段も崩壊気味ですが、雨乞いの霊験があり、門前町もあったそうです。
明治時代の廃仏毀釈によって、荒廃しました。昭和の時代には、すでに廃寺状態だったようです。
7層の石塔です。
何やら意味深げな石塔?ですが、風化していて宝篋印塔という文字が読めるだけです。
尾根道を登ると、数年前の台風の影響でしょうか?倒木の爪痕がありました。
頂上手前にある展望所でお昼休憩です。丸太のベンチらしきものがあるだけです。
以前来た時より、伐採が進んで,見晴らしは良くなっていました。新幹線も、よく見えました。
頂上到着です。標識がなければ通り過ぎそうです。
下山途中にも展望所が2ヶ所ほどありました。ベンチもあります。
若山神社までの道は、激下りです。
摂社の脇が登山道です。

行基が701年に文武天皇の勅命により勧進されたとされています。1074年に官幣社になり、宮寺として勝幡寺として創建された。
参道は結構、荒れていて、躓きそうでした。駐車場が本殿下にあるようですので、参道の利用が少ないかもしれません。
島本駅の東にある、桜井駅跡史跡公園に着きました。
叔母から聞いていたのですが、戦前の遠足地だったところだったそうです。
淡い記憶で「桜井駅」の近くの楠木正成云々ということでしたが、この場所に桜井という駅が、本当にあったのが驚きでした。
西国街道沿いの公園は、桜井宿でもあったそうです。
楠木正成父子決別の地として有名で、乃木希典や東郷平八郎の巨大な石碑があります。
明治天皇御製の碑もあり、戦前の遠足地になっているのも納得です。
楠公父子訣児の處の碑文は、明治時代の駐日大使の英文が刻まれています。
当時は公園も大きくて、土産物屋や記念品等も売っていたそうです。
島本駅到着です。洋酒のCMで使われた「夜が来る」が到着メロディです。
お昼過ぎですが、すっかり夜の雰囲気です。

0 件のコメント:

コメントを投稿