2024年9月16日月曜日

9月13日(金)高野山女人道 お助け地蔵からろくろ峠

 残暑を通り越して、猛暑が続いています。一ヶ月以上様子を見ていましたが、35℃越えに日々が続いて、登山は停止中です。

とりあえず高所なら何とかなるのではないかと。高野山へ観光を兼ねて訪れました。

南海電車の特急こうやです。極楽橋までの山岳区間も走れるレアな車両ですが、1983年からの運用で、31000系とあわせても3編成しかなく、故障すると運休になります。(特急りんかんが橋本まで代走することもあるようです)
窓の隙間もパテ埋めのようで、昭和感満載の車両です。
橋本駅を過ぎると山岳区間になります。紀ノ川を越えると和泉山脈の山並みが見えてきます。
やがて本格的な山岳区間になりますと、歩くようなスピードとなりますが、窓の外の景色は、とても関西の風景ではなくなります。よくこんな所に、鉄道を引いたものだと感心します。
極楽橋からは、ケーブルカーに乗り換えです。こちらは新しくて、2019年からの運用だそうです。車内は、インバウンドで、海外からの観光客が多かったです。


高野山駅と女人堂駅間が不通の為、大門からのスタートとなりました。やはり標高がありますので、何とか歩けそうです。
こんな人里はなれた山に、巨大な宗教都市があるのは、珍しいのでしょうね。
大門の道を隔てた所から、女人道に入って行きます。まずは、お助け地蔵さんです。
大勢のお参りの方がおられたので、横から失礼しています。
一生に一度の願いを聞いてくださるお地蔵さんです。(何もお願いしませんでした)
女人禁制の高野山に女性のお参りを許された外周道が女人道で、女人堂は休憩や宿泊に使われたそうで、幾つかの女人堂があります。
高野山といえど、歩くとヤッパリ暑くて、汗ビッショリとなりました。
ろくろ峠到着です。熊野大社につながる道の大切な分岐点です。
スタンプラリーかな?
いたるところに標識があります。
かなりショートカットで山から下りてきました。高野山の表通りで無い所は、昭和の雰囲気が漂う街並みでした。
奥の院の入り口です。どこの神社の御神木とも、見劣りのしない巨木の林が続きます。
有名人のお墓や、慰霊碑がありますが、司馬遼太郎の石碑は、簡潔に、高野山を表す碑文となっていました。
町石道は根本大塔が起点となって、九度山・慈尊院までの180町・22kmと奥の院までの36町・4kmとなっています。
いよいよ、お仲間入りしそうな団体の供養塔がありました。
金剛峰寺です。豊臣秀吉の時代に立てられて、行く度かの火災で、立て替えられたそうで。屋根にある桶が物語っています。
鐘楼の精巧な木組みは、無駄の無い機能美となっていました。
なかなか名所も回りきれませんでしたが、楽しい一日でした。