高槻市の奥になると未だに倒木処理が行われており、不通区間があります。
このハイキング道も整備されるまでは、倍近い時間がかかったそうです。
展望台を捜していましたが、若山山頂まで来てしまいました。三角点はありますが、眺望はありません。仕方なく後戻りです。
分岐を見つけましたが、下山道のようです。小さなスペースに丸太が、ベンチのようにありましたので、ここで休憩です。
淀川をはさんで、枚方から生駒山系の北の端が見えていました。
この下には大きな変電所があるようです。
12月のカマキリです。子供のころは、大阪市内でもよくみかけたのですがね~。
伐採地でしょうかなかなかのスリルです。
第二の展望所のようです。岩清水八幡宮のある男山が見えています。
木津川・桂川・宇治川の合流点で、淀川となって海へ流れて行きます。
ゴルフ場の横を通りますが、ぬかるみや岩があって滑りやすくなっています。もちろん倒木もありますので、上下から責められる感じでした。
ものすごいパワーを感じます。
結構な急斜面の階段を下ってきました。ここが若山神社の登山口となります。
落ち着いた感じの神社です。701年の創建された古い神社です。
参道も歴史を感じます。
低い山ながら、走行は15kmとなっていました。
JR島本駅に到着です。入線メロディが面白いです。.....サントリーオールドのCM曲である「人間みな兄弟~夜が来る」がながれます。
2018年12月12日水曜日
2018年12月11日火曜日
金龍寺跡
久しぶりの山道です。緩い坂道もくたびれます。
地震や台風で、いたるところで被害が出ましたが、完全復旧とはなっていません。
ブルーシートの屋根や崩れた壁などは、いたるところにあります。倒木などは切断されて安全が確保されるようになりましが、山道では、朽ち果てるのを待つしかないようです。
信仰の山の面影です。町石がありました。
座禅石だそうです。少し傾いているので、姿勢を保つのが難しそうです。
石垣が見えてきました。金龍寺跡が近くなってきたようです。
お寺の池があったところのようですが、よくわかりません。
町石も確認できるものは少ないようです。
どうやらこの辺りが寺跡のようです。
浄土信仰の礎となった貴重な寺院でしたが、昭和58年に心無いハイカーによって、消失してしまいました。
栄えた時もあったようですが、明治以降は衰退していたそうです。
名残の紅葉がきれいでした。
石で作られた物が、かろうじて当時の面影を残しています。
登山道は、かなり整備されていましたが、周りはかなり荒れていました。
南斜面は台風の風が直接当たっていたのでしょうね。一方向に倒れていました。
道も分かりづらくなっています。
ようやく太閤道であることを認識できました。
尾根道の分岐もわかりづらく、岩神神社とありますが、道が見えませんでした。
地震や台風で、いたるところで被害が出ましたが、完全復旧とはなっていません。
ブルーシートの屋根や崩れた壁などは、いたるところにあります。倒木などは切断されて安全が確保されるようになりましが、山道では、朽ち果てるのを待つしかないようです。
信仰の山の面影です。町石がありました。
座禅石だそうです。少し傾いているので、姿勢を保つのが難しそうです。
石垣が見えてきました。金龍寺跡が近くなってきたようです。
お寺の池があったところのようですが、よくわかりません。
町石も確認できるものは少ないようです。
どうやらこの辺りが寺跡のようです。
浄土信仰の礎となった貴重な寺院でしたが、昭和58年に心無いハイカーによって、消失してしまいました。
栄えた時もあったようですが、明治以降は衰退していたそうです。
名残の紅葉がきれいでした。
石で作られた物が、かろうじて当時の面影を残しています。
登山道は、かなり整備されていましたが、周りはかなり荒れていました。
南斜面は台風の風が直接当たっていたのでしょうね。一方向に倒れていました。
道も分かりづらくなっています。
ようやく太閤道であることを認識できました。
尾根道の分岐もわかりづらく、岩神神社とありますが、道が見えませんでした。
2018年12月10日月曜日
太閤道・・・若山登山
足慣らし低山行脚が続きます。
今回は、大阪府高槻市と島本町にまたがる太閤道を歩きました。
豊臣秀吉が明智光秀との山崎の合戦に望む際に通った道とされています。
今は、手軽なハイキングコースとなっています。
JR高槻駅の南ロータリーからの出発です。
ガイドブックは、安満遺跡を通るプランですので、それに従いました。
通常は北側から進むのが、近いと思います。
整備中でありました。国指定の大きな遺跡群で、来年には1次開園となるようです。
公園中央にあるレトロな建物群のひとつです。
もともとは、京都大学農学部の付属農場だったところで、その移転にともなって、整備が進められています。
3年後に、全面開園となるようです。
弥生時代の遺跡で、稲作や環濠集落の痕跡があるそうです。
22haという広大な公園が駅から1km以内にできることになります。
東海道線のガードを潜って右手の「ぺったんこ」の山を目指します。
イチョウの古木です。安満という地区の中を歩いています。
古木の近くある浄誓寺です。1350年の創建と言う古いお寺です。
街並みも歴史を感じる所で、こんな巨木が民家と接して生きています。
神様の休憩場所です。
名神高速道路と新名神高速道路との分岐付近です。
数年前とは全く様相が変っているそうです。
そんなこんなで、山道に入ると倒木ショーのはじまりです。
今年の台風の被害で多かったのが、根こそぎ倒れるという現象です。
民家も近く訪れる人も多いのでしょうか、ルートは確保されていました。
今回は、大阪府高槻市と島本町にまたがる太閤道を歩きました。
豊臣秀吉が明智光秀との山崎の合戦に望む際に通った道とされています。
今は、手軽なハイキングコースとなっています。
JR高槻駅の南ロータリーからの出発です。
ガイドブックは、安満遺跡を通るプランですので、それに従いました。
通常は北側から進むのが、近いと思います。
整備中でありました。国指定の大きな遺跡群で、来年には1次開園となるようです。
公園中央にあるレトロな建物群のひとつです。
もともとは、京都大学農学部の付属農場だったところで、その移転にともなって、整備が進められています。
3年後に、全面開園となるようです。
弥生時代の遺跡で、稲作や環濠集落の痕跡があるそうです。
22haという広大な公園が駅から1km以内にできることになります。
東海道線のガードを潜って右手の「ぺったんこ」の山を目指します。
イチョウの古木です。安満という地区の中を歩いています。
古木の近くある浄誓寺です。1350年の創建と言う古いお寺です。
街並みも歴史を感じる所で、こんな巨木が民家と接して生きています。
神様の休憩場所です。
名神高速道路と新名神高速道路との分岐付近です。
数年前とは全く様相が変っているそうです。
そんなこんなで、山道に入ると倒木ショーのはじまりです。
今年の台風の被害で多かったのが、根こそぎ倒れるという現象です。
民家も近く訪れる人も多いのでしょうか、ルートは確保されていました。
2018年11月28日水曜日
再び山の辺の道へ 古墳群から石上神社
こんもりとした地形があれば、ほぼ古墳です。大きなものから小さなものまで、きりがありません。
皇室関連の古墳はがっちりと柵で囲ってありますが、主たるもの以外は、放置されている感じです。
崇神天皇陵に着きました。
大阪は城下町で、かなり人為的な計画でできた街ですので、カーブの道が新鮮です。
昔の時代劇で、冒頭と終わりの場面によく出てきたのが懐かしいです。
天皇陵のすぐ東にあるのが櫛山古墳で、池がきれいです。
まだ柿が沢山あると思っていたら、収穫されずに放置されている感じです。
金魚が泳ぐ堀の向こうは西山塚古墳です。果樹園となっているようです。
お天気が良かったので、羽虫がいました。景色はのんびりと和風感で満ちています。
休憩所も人も多いので、休めるときに休まないといけません。
夜都伎神社に到着しました。かなり疲れて来て、休憩が多くなってきました
ここから少し登りが続きます。桜?でしょうか。癒されますね。
石上神社に到着です。休憩所は、今回も鶏に占領されていました。
参道はやはり歴史の重みが感じることができます。.....とにかく古く、そして続いているのがこの雰囲気をかもし出しています。
皇室関連の古墳はがっちりと柵で囲ってありますが、主たるもの以外は、放置されている感じです。
崇神天皇陵に着きました。
大阪は城下町で、かなり人為的な計画でできた街ですので、カーブの道が新鮮です。
昔の時代劇で、冒頭と終わりの場面によく出てきたのが懐かしいです。
天皇陵のすぐ東にあるのが櫛山古墳で、池がきれいです。
まだ柿が沢山あると思っていたら、収穫されずに放置されている感じです。
金魚が泳ぐ堀の向こうは西山塚古墳です。果樹園となっているようです。
お天気が良かったので、羽虫がいました。景色はのんびりと和風感で満ちています。
休憩所も人も多いので、休めるときに休まないといけません。
夜都伎神社に到着しました。かなり疲れて来て、休憩が多くなってきました
ここから少し登りが続きます。桜?でしょうか。癒されますね。
石上神社に到着です。休憩所は、今回も鶏に占領されていました。
参道はやはり歴史の重みが感じることができます。.....とにかく古く、そして続いているのがこの雰囲気をかもし出しています。
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